【動画】PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない/R・バッジョ[W杯名場面]

1994年W杯アメリカ大会。この大会はイタリアの至宝ロベルト・バッジョの大会になるはずでした。

前年の1993年に、バロンドールを受賞していたこともあり、イタリアは初のW杯優勝に高い期待をよせていました。バッジョは大会直前に痛めたアキレス腱の怪我の影響もあり同大会予選リーグは精彩を欠いたが、決勝トーナメントに入ると息を吹き返したように活躍。3試合で5得点、どのゴールも試合を逆転・決定するもので、バッジョの活躍によりイタリアは決勝に進みます。

PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない

決勝の相手はブラジル。灼熱のように高い気温の中、120分で決着がつかなかった試合はワールドカップ決勝史上初のPK戦に委ねられました。

フランコ・バレージとダニエレ・マッサーロがすでにシュートを外していたイタリアは、2-3のビハインドで5人目のバッジョのPKを迎えることとなります。

バッジョはPKをセリエAの歴代最多記録であるの持ち主でもあり、所属クラブ、代表で数々のPKを決めてきました。

しかし、一番大事な場面、世界中が期待をよせる場面、人生で最も重要な場面で運命は失敗に導かれてしまいました。

イタリアがW杯優勝を逃すことになったこのPKは、彼の栄光に満ちたキャリアに永遠に影を落とすことになってしまいました。

「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」というバッジョが放った名言がありますが、PK失敗後の腰に手を当てる10番の後ろ姿は忘れられません。

動画はこちら

Original:zhangjianli06’s channel

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。」この言葉はPK失敗から4年後の98年フランスW杯でPKを外してしまったルイジ・ディ・ビアッジョにかけたバッジョ言葉です。

PK失敗によりイタリア国内で戦犯扱いされ、批判にさらされることとなったバッジョの言葉だからこそ重みがありますね。

Shun

Shun

静岡県出身。小学校から大学まで16年間本格的にサッカーを続ける。大学ではスポーツ科学を専攻し、イギリスへのサッカー留学も経験。サッカーの魅力を独自の視点から伝えることで、日本サッカーの発展に少しでも貢献したい。

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