【動画】この悔しさを忘れない!日本中が言葉を失った”ドーハの悲劇”!!


1993年。Jリーグ発足元年となったこの年、世間は空前のサッカーブーム。そんなブーム真最中のこの年に日本代表はワールドカップ出場を目前にして逃してしまうというまさかの悲劇、あの「ドーハの悲劇」が起こりました。

日本中が言葉を失った瞬間

アメリカW杯予選を戦っていた日本代表は、1次予選F組で7勝1分けとし1位通過。カタール・ドーハでのセントラル方式の最終予選(1次予選を突破した6か国の総当たりリーグ戦)を行っており上位2か国がワールドカップの出場権を得ることになっていました。

2勝1分け1敗の勝ち点5(当時は勝利で勝ち点2)で首位に立っていた日本代表は、最終戦のイラク戦に勝てば文句なしのW杯初出場、引き分けてもサウジアラビアと韓国の結果次第では悲願達成という優位な状況。

そして迎えた1993年10月28日最終節イラク戦。開始早々、三浦知良のゴールで先制した日本は、後半すぐにイラクに追いつかれますが、69分に中山雅史が勝ち越しゴールを決め2−1。試合は日本の1点リードのまま終盤に入り、W杯出場まで残りわずかというところまで迫った後半ロスタイムに悲劇は起きました。

日本対イラク戦より数分早く終了した他会場では、サウジアラビアと韓国がともに勝利。かつ韓国は日本の得失点差を上回る3点差をつけて勝利していました。そのような状況の中の後半ロスタイム、イラクの意表をつくショートコーナーからオムラム・サルマンにヘディングで合わせると綺麗な放物線を描きゴールへ吸い込まれる。その瞬間、日本のW杯初出場の夢は消えた。

ゴールへと吸い込まれるボールを見ながら日本中のサッカーファンは言葉を失い、驚きから時間が止まったような感覚さえ覚えた。

アジアの出場国が増えたこともあり、今でこそアジア予選を勝ち抜くことが当たり前となった日本代表ですが、ドーハでの悔しさが日本サッカーの成長に大きく影響したことは間違い無いでしょう。

当時の生々しい映像が残っていました。当時キャプテンを務めていた柱谷哲二の兄・幸一のコメントやホイッスル後に倒れこむ選手の姿、選手と握手を交わすハンス・オフト監督の姿は忘れられません。


動画はこちら

Shun

Shun

静岡県出身。小学校から大学まで16年間本格的にサッカーを続ける。大学ではスポーツ科学を専攻し、イギリスへのサッカー留学も経験。サッカーの魅力を独自の視点から伝えることで、日本サッカーの発展に少しでも貢献したい。

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