【コラム】私とロベルト・バッジョ


私は今年で36歳。そんな私とあるサッカー選手の思い出。

今の時代のように、民放やケーブルテレビでサッカーなんて放送していない時代。私たちはキャプテン翼を見てサッカーを憶えた。

中学校に入り、Jリーグが開幕し、徐々に日本にサッカーという競技が浸透し、たまにセリエAの試合が日本にも放送され、海外サッカーを目にすることが多くなり、そして、トヨタカップの凄さを実感した。

イタリアの至宝 ロベルト・バッジョ

海外サッカーを目にすることが多くなったことで、私を含め日本の多くのサッカーファンを魅了した一人、ロベルト・バッジョ

アズーリ、ユベントス、ACミランで躍動する彼に憧れを持ち、バッジョのユニフォームの着こなし、バッジョの履いているディアドラのスパイクに憧れた。

そして1994年、私が高校1年生だったとき。
バッジョとの思い出を語る上で、外すことのできない94年ワールドカップ アメリカ大会。

92年アズーリの監督に名将アリゴ・サッキが就任し、ACミラン同様に代表にもゾーンプレスを取り入れようとするも、あまり戦術が浸透せず、加えてほとんどの試合が炎天下での試合のためゾーンプレスが機能しなかった。

その結果、アズーリはグループリーグ初戦で格下のアイルランドにまさかの敗北。

いきなり窮地に立たされるが、次戦のノルウェー戦になんとか競り勝ち、最終戦のメキシコ戦に引き分け、グループリーグは全チーム勝ち点4で並ぶ大混戦となったが、なんとかグループ3位で決勝トーナメントに進出。

しかし、苦戦は続き、決勝トーナメント1回戦ナイジェリア戦でも前半に1点を先制され、さらに途中交代したジャンフランコ・ゾラが、不可解な判定で一発退場。

Original:みなみ みなみ

1人少ない状況で1点を追いかける状況に追い込まれてしまうが、後半終了間際の89分、諦めムードのチームをバッジョが救った。土壇場でバッジョが同点ゴールを決め、さらに延長戦でもバッジョが決勝点となるPKを決め、逆転勝利を収めた。

Original:potaling

準々決勝のスペイン戦でもバッジョは再び試合終了直前に相手GKを抜いて、決勝ゴールを挙げ2-1で勝利に貢献。
準決勝のブルガリア戦でも2得点をあげたバッジョ。
決勝トーナメントの3試合で5得点の大活躍でチームを決勝戦に導いた。

Original:potaling

決勝の相手はブラジル。ディフェンスラインにはバレージが戦列に復帰。両者、延長を含め120分間ゴールは産まれずW杯史上初の決勝戦でのPK戦に突入した。

1人目のバレージが外し、その後マッサーロと失敗した。

1-2で迎えたアズーリ5人目のキッカーはバッジョ。

Original:un regio en atlanta

炎天下の下で120分間の戦ったバッジョには、最後の最後にボールをゴールネットに流し込む力は残っていなかった。

アズーリは惜しくも準優勝に終わったが、PKを外したバッジョへの非難の声は聞いたことがない。

その後、バッジョはこんな言葉を残した。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」

これは94年ワールドカップで自身がPKを外した時に言った言葉ではない。
4年後の98年フランス大会、PKを外したディ・ビアッジョに掛けた言葉である。

98年のワールドカップ後、バッジョはインテル、ブレシアとチームを渡り2004年に引退した。

私のヒーロー・ロベルト・バッジョ

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ロベルト・バッジョはいろいろな言葉で言い換えられる。

Fantasista(ファンタジスタ)
Talento prezioso italiano(イタリアの至宝)
Eroe della tragedia(悲劇の英雄)

私はこんなかっこいい言葉で彼を片付けることはできない。

Mi piace come dare calci a calcio d’angolo
私が始めて覚えたイタリア語である。

和訳は
「コーナーキックの蹴り方が好き」

こんなきっかけで私のヒーローになったロベルト・バッジョ。

おそらく今後、私の中で彼を越える選手は出てこないと思う。

miyao

miyao

千葉県出身。幼稚園の頃から今までサッカー漬けの毎日を過ごしている。 欧州サッカーを中心に土日はサッカー観戦が主な予定。 独自の観点で往年の名選手の紹介などを行い、サッカーの楽しさを伝えたい。

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